横井庄一記念館 閉店なぜ?




 

 

横井庄一記念館 閉店なぜ?

 

愛知県名古屋市にある「横井庄一記念館」が、2022年9月3日(土)閉店しました。

コロナ禍で2020年4月から休館でしたが、閉店となりました。

横井庄一さんの妻・横井美保子さんが館長でしたが、コロナ禍で京都に行かれていたので休館となっていました。

館長の美保子さんが2022年5月に亡くなられ、記念館を残したまま他に譲渡する道も探ったそうですが、難航し、閉店となったそうです。

最後の開館日となった9月3日、生前の2人と親交のあった語り継ぎ手や親族ら約20人が見学に訪れ、館内の展示品を懐かしそうに鑑賞したそうです。

 

最近、私営の記念館や資料館、美術館の閉店が多いですが、館長の高齢や死去によるものも多いですね。

 

 




 

 

 

横井庄一

 

終戦を知らぬままグアム島の山中で28年間生活し、帰国後の第一声「恥ずかしながら帰ってまいりました」が当時の流行語になった元日本兵の故・横井庄一さん。

 

1915年3月31日に愛知県に生まれる。

1941年、満州に出征。

1944年3月にグアム島に派遣され、終戦を知らずジャングルでの生活を続け、1972年2月に帰国しました。

1972年11月 お見合い結婚。

講演依頼やテレビ出演など人気となりました。

横井による軍人ブームは、1974年3月に同じく残留日本兵としてフィリピン・ルバング島から帰国した小野田寛郎へと大衆の関心が移り、横井に対するマスコミの扱いも次第に終息していきました。

ようやく生活が落ち着いた横井はほどなくして陶芸に開眼。

自宅を改装して「六十路窯(むそじがま)」を作り、制作した陶器で全国で個展を開いた。

晩年は、ヘルニアや胃がん、パーキンソン病を患っていました。

1997年9月、82歳で死去。

 




 

 

横井庄一記念館

 

横井さんは病床で美保子さんに記念館建設の夢を託したそうです。

横井さんの没後、2003年頃、横井家と名古屋市との間で横井庄一記念館の建設計画が進み、2004年10月の開館を目標としていたましたが、2004年2月に記念館老朽化後の管理が難しいとの名古屋市の判断からこの計画は白紙となりました。

 

その後、妻・美保子さんの私営という形で名古屋市中川区の自宅を改装して記念館とし、2006年6月24日に開館しました。

横井庄一を記念し、自宅の一部を日曜日にのみ公開していました。

新型コロナウイルス禍により、美保子さんが京都市の実家に戻ったため2020年4月から休館。

2022年5月に美保子さんが死去、2022年9月3日(土)に閉館となりました。

 

収蔵されていた横井さんによる陶芸作品など遺品は、グアム島を含め各地の公的機関などに可能な限り寄贈が予定されており、跡地は更地にして売却する方針とのことです。

展示の中心は、横井さんが竹藪に掘って住んでいた穴を横井夫妻の知人の美術教諭が紙や竹などで再現した模型です。

横井さんが帰国後に復元したパゴ(ハイビスカス)の木の繊維を織る織り機や、魚を捕るかご、ココナッツの実で作った椀なども展示されていました。

 

所在地:〒454-0971 愛知県名古屋市中川区富田町大字千音寺稲屋4175